欧米ブランドに「負けていないぞ!」

2018年5月23日 の記事

カテゴリー: 村木るいさんの「人に話したくなる革の話」

4月からスタートし、大好評! 村木るいさんの「人に話したくなる革の話」第2弾は、革の鞣しを大阪で学びます。大阪・貝塚の精肉店を描くドキュメンタリー映画、レザーショップ&博物館取材を通して、皮を革にするプロセスとその歴史、海外での状況を皮革のエキスパート 村木さんが徹底解説!


通常、皮革産業のさまざまなトピック、イベントのレポートなどをお届けしておりますが、この春から人気イベント「本日は革日和♪」を主宰する村木るいさんが加わりました。イベント、セミナーなど精力的に活動する村木さん。皮革に関する確かな見識を有し、幅広い情報発信に支持が寄せられています。当ブログでは、レザーに関心をもちはじめた若い世代のかたや女性ユーザーにお伝えすべく、わかりやすい解説とともに西日本の皮革産業の現状をご紹介。月1回(担当週は不定期です)の更新をお楽しみに。


次回の「本日は革日和♪」は東京へ出張。「東京レザーフェア」「モノマチ」などの時期に合わせ開催されます。展示販売会、セミナー、ワークショップなど盛りだくさんのプログラムが超充実! くわしくは下記リンク先をチェックしてください。


 「本日は革日和♪


***


「ある精肉店のはなし」という映画がありまして


 - ある精肉店のはなしHP


関西人らしく「毎度です!」の挨拶を定番化しようとしている村木です。月イチ連載「人に話したくなる革の話」をお届けします。東京・浅草の恒例イベント「A-ROUND」で先日、ムラキ主宰「本日は革日和♪」が主催するプログラムとして上記映画の上映会を行いました。

大阪・貝塚のこのお肉屋はちょっと変わっていまして。


子牛を買ってきて育てる「肥育」、大きくなってお肉にする「屠畜」、それを直接販売する「お肉屋」を全部1軒で行っていました。この映画のなかで屠畜からお肉屋店頭に並べるまでをドキュメンタリーで描いています。この作品はDVD化されておらず上映会でしか見られません。


人が来るか不安でしたが、4回上映で80人弱ご参加くださいました。来られたかた、ありがとうございます! 上映の開始前と終了後に「食肉と革の歴史」という内容を短く15分程度お話ししました(普段は「人に話したくなる革の話 ~皮?革?どう違う」など、2時間セミナーも行っています)。今回のエントリでは、セミナーなどでお話する内容をちょろりと書いてみましょう。


革の歴史は食肉の歴史

基本的に革の歴史は、食肉産業との歴史です。


欧州などでは肉が食生活の中心だったため、原材料となる「皮」が出てきました。となると、この皮を「革」にして靴から衣料などに使わないともったいないですね。


例えば、1991年にアルプス氷河で発見された通称アイスマンは、5300年前に生存していたとされています。彼が身にまとっていたのはヤギと羊のコート、ヤギ革のレギンス、クマの毛皮の帽子。羊革の腰布。靴紐は牛革。矢筒は鹿の革。上から下まで全部革でした。当たり前ですがこれらは全部食べたもの、と思われます。食べた以上は使わないともったいないわけですね。


 アイスマンの衣類に使われた動物を特定 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 アイスマン - Wikipedia


革の鞣しはどんなものがあったのか

食べた後の皮はほっておくと乾燥して固くなります。カッチンカッチンになります。わかりやすいものとして身近にあります。犬のガムと呼ばれているものです。これは皮を乾燥させたものですね。

じゃぁ、ほっておいたらこんなにカチカチになる皮を鞣しによってどう柔らかく、腐らないような「革」にするのか。これは世界の地域によって、さまざまに存在します。


古代エジプトの鞣し

鞣しの初期によく使われていたのはタンニン鞣しです。


渋柿や濃いお茶を飲むと口がキュッーーーーーとなりますね? これらは渋柿やお茶に含まれるタンニン成分の作用です。タンニンにはこのように肉を収縮させる作用=収れん作用があります。この作用のおかげで皮は腐らない革に変化します。エジプトの壁画を見る限りこのタンニンなめしが行われていたんじゃないか、と言われています。


例えばエジプトでは、紀元前に作られた遺跡からは鞣しの風景が書かれた石画が見つかっています。

 エジプトの古代の鞣製技術(テーベン壁画) 澤山 智「鞣製学」より引用

 日本皮革技術協会 皮革の知識 皮のなめし


昔の日本の鞣し

日本ではタンニンなめしがあった、という説となかったという説で分かれています。


確実に行われていた鞣しとしては燻煙鞣し=燻しがあります。木を焼いた煙を当てることで虫を除き腐りづらくします。ただ、これだけだと硬さが残りますので更に脳みそを刷り込む脳漿鞣しという技法も発達しました。今でも甲州印伝などは燻しが使われています。


正倉院の中には今でも聖武天皇が履いていた履物が存在します。こちらは燻しと脳漿鞣しを行った鹿の革が使われていたと言われています。


 衲御礼履(のうのごらいり)

 宝物詳細画面 - 正倉院 - 宮内庁


北海道の地に住んでいたアイヌ民族は鹿や鮭を採って生活していました。で、鹿がある以上革を使います。彼らが行っていたのは煙を使う燻しが行われていました。大阪・吹田 千里万博公園の国立民族学博物館では、鮭革のコートが展示されています。これなども鮭を食べた後の皮を煙で燻して革にしていたと言われています。

 民族学博物館で革の勉強をしてみようpart2 アイヌが使っていた鮭の革: レザークラフト・フェニックス


奈良時代などでは、日本でも革の鎧が存在しました。ここらの話は下記ブログで解説しています。

 革の話をしてみよう:革の鎧の歴史や作り方をダラダラっと紹介: レザークラフト・フェニックス


極寒のアラスカの鞣し

極寒の地のアラスカではどうやって革を鞣していたんでしょうか? アラスカは樹木が少ないため、樹皮もとれずタンニンも取れません。樹木が少ない、ということは火を起こすこともできません。火 が使えないと日本のように燻しも行えません。


アラスカの地域は極寒で農業も牧畜もできませんが、海から魚やアザラシなどが採れます。アザラシからは肉や油が採れます。骨も有効活用し、血液も飲むことで栄養を補給していました。


さて、皮はどうしていたかというと、口鞣し、という珍しい技法で鞣しをしていました。これは固まりそうな皮を口で延々と噛んでいく、という作業です。


 エスキモーと鞣製(澤山 智「鞣製学」より引用)
 日本皮革技術協会 皮革の知識 皮のなめし


このように鞣した革で衣料や舟=カヤックを作ったりしていました。


 シーカヤックの歴史


誰かが食べてくれないと皮は出てこないし、革も作れない。

前述のように革、というのはあくまで食肉産業の副産物でしかありません。肉を食べないと発生しない、という不安定な素材です。


「いや、肉を食べないなんてことないでしょう。安定的な素材じゃないの?」


それがこの日本においてはそうでもなかったんです。


肉食禁止の国、日本の革文化

飛鳥時代の675年。仏教が伝来した際に天武天皇は肉食禁止の令を出しました。「牛羊鶏豚犬」とも「牛羊鶏豚犬」「牛馬犬猿鶏」とも諸説言われています。実際はこっそりと山の民は食べていたり、「ウサギは飛ぶように走るからあれ、鳥だよね? だから食べていいよね」などとこじつけて食べていました。ウサギを今でも「1羽、2羽」と数えるのはその名残と言われています。


肉食の禁止は皮が出てこず、革の供給が少ない、ということです。肉食禁止=革が使えない、というわけでもありません。労働・病死・寿命でなくなった牛や馬などは皮をとり革として使われていました。特に戦国時代などは武具甲冑を作る際に革は重要な素材だったため、革を作る職人は重宝されました。やはり革素材のしなやかさがありつつも頑丈という特性は魅力的です。


戦国時代から下って江戸時代。長崎の出島には、おもしろい資料が残っています。長崎には「出島 dejima」という体験施設があります。ハウステンボスなどに行かれた際には是非行ってみてください。歴史好きにオススメです!

 

 nagasakidejima.jp


こちらなどに行くと出島での主要な貿易品目の一つとして鹿革や鮫革(実際はエイの革)などがあったと記録が残っています。鹿革は羽織や足袋手袋、鎧のパーツなどに使われ、鮫革は刀の柄などに使われていました。


この出島から横浜に居留地ができ、そこから肉を食う文化が広まり始めました。江戸時代の末期にはすき焼きが始まりました。明治維新以降は革の鞣しが始まり、靴工場が作られ、日本における革の産業が本格的に始まったと言えます。


明治維新以降は肉食も普通に行われ、国は肉食を推進し、体をより頑丈かつ健康に、と働きかけました。その際には牛や豚の肉が食され、皮が供給され、革に鞣され、靴や軍人さん用の背嚢(はいのう。リュックサック)やベルト、地図鞄などが作られるようになりました。この時代の鞄などは東京のエース世界の鞄博物館でも見ることができます。


 世界のカバン博物館|エース株式会社 - Ace

 久々に行ったら写真撮影可になっていた世界のカバン博物館&近辺で見ることの出来る革資料やら | phoenix blog


こんな狭い国なのに西と東でも違う

JLIA担当さん

「ムラキさん! 西の人らしく西の情報も書かなきゃだめですよ!」


ん~っと、、、それじゃ更に長くなるけど、食文化の違いが革にも如実に関わる実例あげてみましょうか。うちの実家って父が東京、母が大阪の人間なんですよね。そうすると肉じゃがに豚を入れるか牛を入れるか、すき焼きにはどっちを入れるか、で喧嘩になっていたわけですわ。

「どういうことですか?」

関西人は肉、っていうと「牛!」なんですよ。関東人は肉っていうと「豚!」の文化なんですよね。

で、これは革屋さんにも影響します。


関西の鞄や財布のメーカーさんは豚革っていうと「なんや、豚なんて肉としてはイマイチや!だから革も内側に使うようなものだろ! メインに使うものじゃないだろ」というところが多いです。そうなると豚の革で財布や鞄なんて作りません。結果的に関西の革屋さんってのは豚革の選択肢が少ないです。


東京の鞄や財布のメーカーさんは「豚革? 普段から食べているよ。別にこれで財布や鞄作ってもいいじゃん」と考えます。だから豚の革で財布や鞄を作ります。で、結果的に東京の革屋さんってのは豚革の種類が多いですね。


下記は私が働いている革屋さん「レザークラフトフェニックス」での風景ですが、牛や馬の革はこれくらい選択肢があります。


他方豚の革は選択肢が棚1段分くらいしかないですね。それも裏用の革ばかりです。

「そんなに違いあるものなんですねぇ」

あるんですよ。
まぁ、革屋さんもそれぞれに得意分野が異なりますね。


革を鞣してくれるタンナーさんも兵庫県の姫路市やたつの市には200以上あると言われていますが、豚の鞣しをメインとしているタンナーさんって1割以下だと思います。そのかわり牛や馬の鞣しをするタンナーさんが多いです。それに対して東京のタンナーさんは豚革を得意としているところが多いですね。


結果的に西のタンナーさんは使っている設備が巨大だったりします。


「なんでですか?」


豚よりも牛や馬のほうが大きいからですね。その分大量の水も使いますし、人手もかかっちゃいますね。

さすがに全部のタンナーさんを把握しているわけではないんですが、このように西と東で違いがあります。


突き詰めると、「その地域の人たちが何をよく食べているか」

その後に

「牛をよく食べるならば、牛の皮が出る」>

「だから牛の鞣しを得意とするタンナーさんが増える」>

「だから西の革屋さんは牛や馬が得意で豚は苦手」

となります。

あるいは「西の鞄や財布メーカーは豚革使わない」>

「じゃぁ革屋さんとしても豚革あまり置かないな」となります。


どちらが正しいかは断言できないのですが、食文化の違いが革の扱いにも影響が出ていると言えます。


何度も書くけど革の歴史は食肉の歴史

最初にも書いていましたように革の歴史は食肉の歴史です。みなさんが食べる肉は栄養となり、皮は革になり靴や鞄などに使われています。革の鞣しに興味もたれましたら、過去に書いたアーカイブ(下記リンク)をまた読んでみてくださいな。



関連ブログ:


革の話をしてみよう:なめしって個人でできるの?: レザークラフト・フェニックス

民族学博物館で革の勉強をしてみようpart1 動画資料で皮なめしやらを見る: レザークラフト・フェニックス

革の話をしよう!:マッドマックスの世界で革はどのような意味合いがあるか? | phoenix blog


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プロフィール

鈴木清之

鈴木清之(SUZUKI, Kiyoyuki)
オンラインライター

東京・下町エリアに生まれ、靴・バッグのファクトリーに囲まれて育つ。文化服装学院ファッション情報科卒業。文化出版局で編集スタッフとして活動後、PR業務開始。日本国内のファクトリーブランドを中心にコミュニケーションを担当。現在、雑誌『装苑』のファッションポータルサイトにおいて、ファッション・インテリア・雑貨などライフスタイル全般をテーマとしたブログを毎日更新中。このほか、発起人となり立ち上げた「デコクロ(デコレーション ユニクロ)部」は、SNSのコミュニティが1,000名を突破。また、書籍『東京おつかいもの手帖』、『フィガロジャポン』“おもたせ”企画への参加など、“おつかいもの愛好家”・”パーソナルギフトプランナー”としても活動中。

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