アリス・ゴーデンカー

革で作られたものに初めて惚れ込んでしまったのは、東京の大学で留学していた21歳の頃でした。1981年、1982年あたりだったと思います。新宿にあるデパートの文房具売り場を歩いていました。特別に買う目的があったわけでもなく、ただ通りがかっただけでしたが、あるものが私の目に留まりました。

それは、小さな革のケースでした。長さ15センチほど、横が5センチ程度だったでしょうか。黒地に綺麗なクリーム色のトンボ柄が施してありました。私は思わず立ち止まり、ついそのケースを手に取りました。非常に軽く、柔らかい手の感触に驚きました。ひっくり返してその滑らかな手触りを楽しみました。横にファスナーがついており、それがペンケースとわかりました。 そのペンケースは高いものでした。必要に迫られない限り何も買わないような貧乏学生だった私にとって、それは本当に高価なものだったのです。ましてや、ペンを入れるものなど必要ではなかったのですが、結局、そのペンケースを購入してしまいました。

私が育った国アメリカでは、ペンをケースに入れる習慣がありません。学校では、鉛筆はみんなと共有するものであり、一日の終わりになると先生の机の上にある空の瓶に鉛筆を戻します。そのため、鉛筆箱を持つ必要がなく、家へ学校へと持ち運びすることもありませんでした。

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革のペンケースを購入して以来、私は常にペンをケースにしまう習慣になりました。日本の留学生活では、常にそれを使い、毎日手にとってはその贅沢な手触りを楽しんでいました。日本人学生がみな、ペンケースを持っていることにも気づきました。

2年の留学生活が終わり、アメリカへ戻りました。当初、ニューヨークで仕事をしている時もペンケースを持ち歩いていましたが、同僚達はデスクに置かれた安いペンをお互いに使い回していました。
しばらくすると、ペンケースを家に置いてくるようになり、その後何度かの引越しのあと、なくなってしまいました。

2000年、私は子どもと一緒に日本へ戻ってきました。子どもたちを日本の小学校へ入学させました。学校では、全ての子どもがペンケースを持つように決まっていることに、びっくりしました。

我子も、夕方、帰宅したら鉛筆箱を整理すること、3本の鉛筆、1本の赤鉛筆を必ず確認すること、そして鉛筆は翌日のために全て削っておくようにと教えてられていました。

物を丁寧に扱うことを学ぶことが日本の教育の中でも?非常に重要なことだと理解し、それが大人になっても活かされていると気づきました。なぜなら、日本の会議では、名刺入れ、眼鏡ケース、そして、ペンケースが机の上にそろわないと会議が始まらない、そんな印象さえ受けるからです。

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ある日、ずっと昔に購入したあのペンケースと似たものを見かけました。しかも、同じトンボ柄でした。それは「印傳」と呼ばれる伝統的な工芸品で、鹿革の上に漆でデザインを施したものだと店員の方が説明してくれました。また、トンボは古くから「勝虫(かつむし)」と呼ばれ、戦に勝つという願いを込めて、武士達がトンボ柄の鎧を仕立てたと聞きました。

正直、コンピューターで仕事をして、必要に応じペンを1本だけ持ち歩く私にとってペンケースは必要なものではありません。でも、それをやはり買ってしまいました。そのスムーズで柔らかい感触を楽しみながら、日本が創り出す美しい工芸品への感謝と、ものを大切にするという日本独特の文化へのありがたみを、手にする度に感じています。

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